松永久秀、伝説の爆死となるか・・・?
鬼のような形相で描かれていることが多いので、
いったいどんな人物か気になります^^
1508年生まれといわれていますので、
織田信長(1534年生まれ)より、
26歳年上です。
1577年で亡くなっていますので、
69歳の生涯です。
当時としてはかなりの長生きでしたね。
信長が松永久秀のことを「老翁」と残していますよ。
また久秀は、
従四位下にも叙され、
藤原姓や源氏姓も賜っています。
「麒麟がくる」では第一回放送から登場し、
十兵衛と密接な関係が出来ていくわけですが、
史実では二人のからむ記録が少ないようですね。
それにしても
吉田鋼太郎さんの配役はぴったりな印象で、
とても豪快にかつ繊細に演じてくれました。
個人的には大満足です!
(「麒麟がくる」公式Twitteより引用)
久秀が築いた大和の多聞山城では、
当時として初の四層櫓が建築されました。
内装は金箔や絵師による絵画など
優美を飾っていたと残されています。
櫓はのちに、
解体され、安土城へ移築されました。
いっぽう岐阜とも縁が深く、
何度も岐阜城にいる信長のもとを訪れていたようです。
(岐阜大学医学部附属病院から岐阜城を撮影 2017年12月)
まずは、松永久秀の娘を
織田信長の人質に出す際に
美濃へ来た記録があります。
そして、信長の後ろ盾を得て、
信貴山城を筒井順慶から奪還した後に
多くの名物を持参して、
お礼の挨拶で訪れています。
さらにその後は、
一度人質で遣わした娘を
三好長治との和睦のために
嫁がせる際に岐阜へ迎えに来て、
信貴山城へ連れて一緒に帰っているようです。
しかし、その後は織田信長との関係は悪化し、
多聞山城を壊されたり、
宿敵筒井順慶を大和の守護とされるなど、
どんどんプライドを傷つけられていきます。
最終的には、本願寺攻めのときに、
信長軍から離脱し、
敗北&自害へと進みます。
同じ時期、
信長の人質となっていた久秀の孫(12歳と13歳)も
京で引き廻され、
六条河原にて自害(処刑)しました。
信長公記には、
その際の子供たちの潔さが
美しくそして儚く描かれています。
松永久秀は今回のドラマでは、
とても重要人物として扱われていました。
これも明智光秀目線のドラマならではかもしれません。
(大河ドラマ「麒麟がくる」公式ホームページより引用)
最後になりましたが、
形見となり、
信長と十兵衛の決裂を決めた「平蜘蛛釜」は、
浜名湖舘山寺美術博物館が所蔵しています。
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